陶芸家になれる確率なんて気にするな!考えるだけ時間の無駄

「私、陶芸家になれますか?」「陶芸家になれる確率って、どれくらいなんでしょうか?」

 

新しいことに挑戦するとき、特にそれが「好き」を仕事にしたいなんて壮大な夢だったりすると、つい成功確率なんていう無機質な数字を検索しちゃいますよね。でもね、先に言わせてください。陶芸家になれる確率なんて、考えるだけ時間の無駄です!

 

そんな数字は、あなたの未来にとって1ミリも役に立ちません。なぜなら、その確率は0%かもしれないし、100%かもしれない。決めるのは、他の誰でもない、あなた自身の「熱量」だけだから。この記事では、「確率」という呪いの言葉からあなたを解放します。そして、確率計算をするよりも1億倍大切で、あなたの人生を豊かにしてくれる「土との向き合い方」について、私のすべてを懸けてお話しします。

 

この記事を読み終える頃には、あなたは「なれるかなれないか」なんていうちっぽけな悩みから解放され、今すぐにでも土をこねくり回したくてたまらなくなっているはず。たとえプロの陶芸家にならなかったとしても、あなたの人生は、泥だらけで、不格好で、最高に愛おしい作品のように、間違いなく豊かになりますから。さあ、一緒に泥沼…いえ、陶芸という幸福な沼にハマってみませんか?

陶芸家になれる確率を考えるのは無意味。大事なのは「なりたい」という熱量だけ

 

あなたがもし「陶芸家になれる確率」なんてキーワードでこの記事にたどり着いたのなら、今すぐその思考はゴミ箱にポイしちゃってください。そんなことを考えている時間、もったいなさすぎます。なぜ私がここまで言い切るのか。それは、アートの世界において「確率」ほど無意味なものはないと、身をもって知っているからです。

そもそも「陶芸家」の定義って何?

ちょっと考えてみてほしいんですけど、「陶芸家」って、そもそも何なんでしょうね?どこからが陶芸家で、どこまではただの趣味なんでしょうか。

 

例えば、「陶芸作品を売って生計を立てている人」だけが陶芸家?じゃあ、他に本業があって、副業として作品を売っている人は?年に一度しか個展を開かない人は?まだ一つも作品が売れたことがないけれど、来る日も来る日も土と向き合い、魂を削って作品を作っている人は?…ね?定義がめちゃくちゃ曖昧なんです。国家資格があるわけでもないし、「今日から俺は陶芸家だ!」って名乗れば、もうその人は陶芸家なのかもしれない。私?私は…そうですね、「土に人生を狂わされた人間」とでも名乗っておきましょうか(笑)。

 

こんな風に、ゴール地点が人によって全く違うのに、そこにたどり着く「確率」なんて計算できるはずがないんですよ。東大の合格率みたいに、定員と受験者数が決まっているわけじゃない。あなたが「これが私の目指す陶芸家像だ」と決めた瞬間、あなただけの道がそこに生まれるんです。だから、確率なんていう他人の物差しで自分を測るのは、もうやめにしませんか。

数字で測れない世界の魅力に気づいて

確率を気にしてしまう気持ちの裏側には、たぶん「失敗したくない」とか「無駄な努力はしたくない」っていう思いがあるんだと思います。わかります、すごく。でも、陶芸って、もっと言うとアートって、そういう効率とかコスパとか、そういう世界とは真逆の場所にあるものなんです。

 

そこにあるのは、理屈じゃない。「好きだ!」っていう、ただそれだけの衝動。うまく言えないけれど、土を触っていると、なんだか地球と繋がっているような感覚になるんです。ひんやりと湿った土の感触、ろくろの上で形を変えていく粘土のわがままさ、自分の指先から新しい命が生まれるような、あの奇跡みたいな瞬間。この感動は、偏差値や年収といった数字では絶対に測れない。

 

もしあなたが確率を気にしているのなら、それはもしかしたら、その「好き」という気持ちの強さを、まだ自分自身で信じきれていないからかもしれません。でも、大丈夫。最初はみんなそうです。私だってそうでした。「自分なんかがプロになれるわけない」って、ずっと心のどこかでブレーキをかけていましたから。でも、土を触る時間だけは、そんな不安を全部忘れさせてくれた。だから、まずはその「好き」という初期衝動を、どうか大切に、大切に抱きしめてあげてください。

陶芸家への道は一本じゃない 多様なキャリアパス

 

「陶芸家」と聞くと、多くの人が山奥の工房で仙人みたいなおじいさんが一人、黙々とろくろを回している…みたいなイメージを抱くかもしれません。まあ、そういう方もいらっしゃるでしょうし、それはそれで最高にカッコいい。でも、現代における「陶芸家」の生き方は、もっとずっと多様で、自由なんです。一本道じゃありません。いろんな道があるってことを知るだけで、心はずっと軽くなるはずですよ。

王道を行く 作家としての独立

まずは、みんながイメージするであろう王道ルート。美術大学や陶芸の専門学校で基礎を学び、有名な作家さんの工房に弟子入りして修行を積み、やがて自分の窯を持って独立する…という道です。これはもう、陶芸界の「甲子園出場からドラフト1位でプロ野球選手へ」みたいな、花形のコースですね。ロマンがあります。めちゃくちゃあります。

 

ただ、はっきり言って、この道が一番いばらの道であることも事実。まず、経済的にめちゃくちゃ厳しい。弟子入り時代は薄給(というか、お給料が出ないことも…)で、師匠の雑用をこなしながら、夜中に自分の作品をこっそり作らせてもらう…なんて生活が何年も続くかもしれない。そして、いざ独立しても、すぐに作品が売れる保証なんてどこにもない。

 

孤独な工房で、売れるかどうかもわからない作品をひたすら作り続ける精神的なタフさも求められます。まさに、自分の才能と情熱だけを頼りに荒波に漕ぎ出すような生き方。憧れるけど、相当な覚悟が必要。でも、この道を突き進んで成功した作家さんの作品には、やっぱり他を圧倒するような凄みとオーラがあるんですよね…。

副業から始めるハイブリッドな陶芸家

次に、もっと現代的で、現実的な選択肢。それが「副業陶芸家」というスタイルです。平日は会社員やフリーランスとして安定した収入を得て、週末や仕事終わりの時間に作品作りに没頭する。これ、今の時代にすごく合っていると私は思います。

 

このスタイルの最大のメリットは、なんといっても経済的な安心感があること。お金の心配をしなくていいから、「売れる作品を作らなきゃ」というプレッシャーから解放されて、本当に自分の作りたいものを、自分のペースで追求できるんです。これ、精神衛生上めちゃくちゃいいんですよ!焦りから生まれた作品って、やっぱりどこか窮屈さがにじみ出ちゃうんですよね。

 

それに、今はSNSやネットショップを使えば、誰でも簡単に自分の作品を発表して、世界中の人に届けることができます。インスタグラムで作品の写真をアップしたり、制作過程を動画で見せたり。
minneやCreemaのようなハンドメイドマーケットに出品すれば、個展を開かなくても自分の作品を販売できる。実は私も、最初は会社員をしながら、週末にレンタル工房に通って作品を作って、ネットで販売するところから始めました。初めて自分の作ったお皿が売れた日のこと、今でも鮮明に覚えてます。スマホの通知が鳴って、「え?うそ…売れた…!」って、会社のトイレで一人、静かにガッツポーズしました(笑)。生活の基盤があるからこそ、純粋に陶芸を楽しめる。このハイブリッドな生き方は、多くの人にとっての希望になるんじゃないかな。

陶芸を「教える」プロになる道

「作る」ことだけが陶芸との関わり方ではありません。「教える」プロになる、という道も非常に魅力的です。陶芸教室の先生や、商業施設などで開催されるワークショップの講師になるというキャリアですね。

 

この道の面白さは、「作る喜び」に加えて「伝える喜び」を味わえること。生徒さんが初めてろくろで器を立ち上げた瞬間の、あのキラキラした目。「先生、できました!」って、泥だらけの手で作品を掲げる姿を見たときの嬉しさは、自分の作品が完成したときとはまた違う、格別なものがあります。自分が培ってきた技術や知識が、誰かの新しい世界の扉を開くきっかけになる。これって、ものすごく尊いことだと思いませんか?

 

もちろん、教えるためには、作る技術に加えて、高いコミュニケーション能力も必要になります。相手のレベルに合わせて的確なアドバイスをしたり、うまくできない人を励ましたり、場の雰囲気を和ませたり。人と話すのが好きな人、誰かの成長をサポートすることに喜びを感じる人にとっては、まさに天職かもしれません。自分の工房を持つことと、教室を運営することを両立している作家さんもたくさんいます。作る、教える。この二つの車輪が、あなたの陶芸家としての人生を、より豊かで安定したものにしてくれる可能性だってあるんです。

「なれるか」より「どう楽しむか」 陶芸と長く付き合うための心構え

 

ここまで「陶芸家になるための道」について話してきましたが、ちょっと待って。そもそも、プロになることだけがゴールなんでしょうか?私は、違うと思うんです。大切なのは、「なれるか、なれないか」という二元論に囚われることじゃなくて、「どうすれば、この最高に面白い陶芸という遊びと、長く、深く付き合っていけるか」を考えること。その先に、結果として「プロ」という道が開ける人もいる、というだけのこと。ここでは、陶芸を人生の最高の相棒にするための心構えをお話ししますね。

まずは体験教室へGO!考える前に土を触れ

もし、あなたがこの記事をここまで読んでくれているなら、答えはもう出ています。あなたは、陶芸に興味がある。めちゃくちゃある。だったら、もうごちゃごちゃ考えるのはやめましょう!今すぐ、スマホで「近所の地名 陶芸 体験」って検索してください。そして、一番ピンときた教室に予約の電話を入れるんです。

 

頭でいくら考えても、土の感触はわかりません。ろくろが回る遠心力の不思議さも、自分の手の中で粘土が生き物のように呼吸する感覚も、体験してみないと絶対にわからない。理屈じゃないんです、陶芸は。私の最初の体験、今でも覚えてますよ。先生に言われるがままに土殺し(粘土の芯を出す作業のことです)をして、いざ器の形にしようとした瞬間…ぐにゃあ。無惨にも粘土は歪み、崩れ去りました。

 

え?才能ない?って一瞬思ったけど、それよりも、ひんやりと滑らかな土の感触が、ただただ気持ちよくて。ああ、これ、ずっと触っていたいなあって。そう思ったんです。それが私の原点。あなたの原点も、きっと体験教室のその先にあります。考える前に、動く。まず、土に触れてみてください。話はそれからです。

「下手で当たり前」の精神を叩き込む

いざ陶芸を始めると、多くの初心者がぶつかる壁があります。それは「思い通りに作れない」という壁。「YouTubeの動画みたいに、シュッときれいな形にならない…」「なんで私のはこんなに歪んでるの…」「私、やっぱり才能ないのかも…」もうね、この思考回路、あるあるすぎて耳にタコができます。

 

断言します。最初は、下手で当たり前です!むしろ、いきなりうまくできちゃったら面白くないじゃないですか。プロの作家さんだって、最初はみんな、歪で分厚くて、お世辞にも上手とは言えないものから始まってるんです。だから、どうか完璧を目指さないでください。その歪みこそが、あなたの「味」であり、手作りの証なんです。既製品みたいな、つるんとした完璧な器が欲しければ、お店で買えばいい。でも、あなたが作るのは、世界にたった一つの、あなたの指紋と、あなたの悪戦苦闘の跡が刻まれた作品なんです。

 

私が初めて作った湯呑みなんて、ひどいもんでしたよ。高台(器の底の輪っかの部分)がガタガタで、テーブルに置くとカタカタ揺れるの。お茶なんて飲めたもんじゃない。でも、なぜか捨てられなくて、今はペン立てとして私の仕事机に鎮座しています。その不格好なペン立てを見るたびに、初心を思い出して、なんだかクスッと笑ってしまう。失敗作すら愛おしい。そんなふうに思えたら、陶芸はもっともっと楽しくなります。「下手で当たり前、歪んで上等!」この言葉を、お守りのように心に刻んでおいてくださいね。

「好き」を燃料にし続ける技術

どんなに好きなことでも、続けていればスランプに陥ったり、モチベーションが下がったりすることはあります。それはもう、仕方のないこと。大事なのは、そんなときにどうやって「好き」という気持ちの炎を絶やさずに、燃料を補給し続けるか。これはもう、技術です。

 

一つは、とにかくインプットを増やすこと。美術館やギャラリーに足を運んで、一流の作品に触れる。デパートの食器売り場で、いろんな作家さんの器を手に取ってみる。インスタグラムで「#うつわ好き」とか「#pottery」とかで検索して、世界中の作品を眺めるだけでもいい。素晴らしい作品に触れると、「うわー、すげえ!」「私もこんなの作ってみたい!」っていう単純な憧れが、乾きかけた心にじわーっと沁みて、また創作意欲が湧いてくるんです。

 

もう一つは、仲間を作ること。陶芸教室に通う一番のメリットは、これかもしれません。同じ「好き」を共有できる仲間がいるって、本当に心強い。「この釉薬、いい色だね」「その形、どうやって作ったの?」なんていう他愛ない会話が、最高の刺激になったり、悩みを解決するヒントになったりする。もし教室に通うのが難しければ、SNSで陶芸アカウントを作って、他の人と交流するのもいいですね。一人で黙々とやるのもいいけれど、たまには外の世界と繋がって、自分の「好き」を再確認する。このガス抜きが、長く楽しむための秘訣です。

ぶっちゃけ、お金の話 陶芸で食べていくということのリアル

 

さて、ここまで夢のある話をしてきましたが、そろそろ現実的な話もしておきましょうか。そう、お金の話です。夢だけじゃお腹は膨れませんからね。特に「プロになりたい」と考えているなら、この話は避けて通れません。でも、怖がらないでください。現実を知ることは、絶望するためじゃなく、ちゃんと対策を立てて、賢く夢を追いかけるために必要なことなんです。

道具、土、窯…初期投資はどれくらい?

「陶芸を始めるのに、いくらかかるんですか?」これもよく聞かれる質問です。もし、自宅に自分だけの工房を持ちたい!と考えるなら、正直、結構な初期投資が必要です。まず、電動ろくろ。安くても10万円台、本格的なものだと30万、40万はします。そして、最大の関門が「窯」。これがもう、ピンキリですが、家庭用の小さな電気窯でも50万円くらいから、本格的なものになれば100万円、200万円と青天井…。え?無理?って思いますよね。うん、私も思います(笑)。

 

だから、声を大にして言いたい。いきなり全部揃える必要なんて、全くありません!家族に「庭に窯を置きたいんだけど…」なんて相談したら、十中八九、大戦争が勃発しますよ。最初は、陶芸教室の設備を使わせてもらうのが一番です。月謝を払えば、ろくろも土も釉薬も、そしてあの高価な窯だって使わせてもらえる。もしくは、時間貸しの「レンタル工房」や「シェア工房」を利用するのも賢い手です。まずはそういう場所で腕を磨いて、「もう自分の工房がないと無理!」ってレベルになってから、道具の購入を考えればいいんです。焦りは禁物。小さく始めて、大きく育てる。これが鉄則です。

作品の値段ってどうやって決めるの?

作品が作れるようになって、いざ「売りたい!」と思ったとき、次にぶつかるのが「値付け」の壁です。これ、本当に難しいんですよ…。自分の作品に値段をつけるのって、なんだか自分の心臓に値札を貼るような、そんな気恥ずかしさと恐ろしさがあるんですよね。

 

一般的には、「材料費(土、釉薬など)+制作時間×時給+焼成代+デザイン料・技術料」みたいな計算式があったりしますが、じゃあ自分の時給はいくらなんだ?とか、デザイン料って何だ?とか、考え出すとキリがない。最初は、minneやCreemaのようなサイトで、自分と似たような作風の人がどれくらいの値段で売っているのかをリサーチするのがおすすめです。

 

そして、最初は「買ってもらう経験」をすることが何よりも大事なので、少しだけ背伸びしたくらいの、自分でも納得できる価格をつけてみましょう。安すぎると、「この程度の価値しかないんだ」と自分のモチベーションを下げてしまうし、制作の対価としても見合わなくなってしまいます。逆に高すぎると、もちろん売れません。このバランスが難しい。でも、一つ売れると、ものすごい自信になります。その自信が、次の作品へのエネルギーになる。そうやって、少しずつ自分の作品の「価値」を、世の中に問いかけていくんです。このスリル、結構やみつきになりますよ。

それでも私が陶芸を続ける理由

 

ここまで、確率の話、キャリアの話、お金の話…といろいろ語ってきました。大変なことも、面倒なことも、正直たくさんあります。じゃあ、なんで私は陶芸をやめないのか。なんで、泥だらけになって、爪の間に土を詰まらせてまで、土をこね続けているのか。それはもう、理屈じゃないんです。陶芸が与えてくれる喜びが、他の何にも代えがたい、特別なものだからです。

土との対話が生み出す唯一無二の瞬間

陶芸の面白さの根源は、結局のところ「思い通りにならない」ことにあるのかもしれません。土は、生き物です。その日の気温や湿度、こねる自分の手の力加減、ろくろの回転スピード…ほんの些細なことで、全く違う表情を見せる。こっちが「こうなってくれ!」と力を込めると、土は反発して歪んでいく。でも、ふっと力を抜いて、土の声に耳を澄ませるように、優しく導いてあげると、スルスルッと思いもよらない美しい形に伸びてくれることがあるんです。あれはもう、「対話」としか言いようがない。

 

そして、陶芸のクライマックスは、なんといっても「窯出し」の瞬間。釉薬をかけて窯に入れるまでの作業は、いわば料理の下ごしらえ。本当に美味しい料理に仕上がるかどうかは、窯という火の神様のご機嫌次第。何時間も、何日もかけて作った作品が、灰になって出てくることだってある。だから、窯の扉を開ける瞬間は、何年やっていても、心臓がバクバクします。まるで宝箱を開ける子供みたいな気分。そして、扉の隙間から、想像をはるかに超える美しい色に焼き上がった自分の作品が見えたときの、あの歓喜。この瞬間のために、私は陶芸をやっているんだなと、いつも思います。たまに絶望の箱を開けることになりますけどね(笑)。

デジタルな世界から逃れる究極のアナログ体験

私たちは今、常にスマホを手にし、PCの画面とにらめっこし、大量の情報と通知に追い立てられるように生きています。便利だけど、正直、疲れませんか?私は、めちゃくちゃ疲れます。

 

そんなデジタルまみれの日常から、強制的に自分を切り離してくれるのが、陶芸の時間なんです。土を触っているときは、スマホなんて見れません。手が泥だらけだから。ろくろを回しているときは、余計なことを考える余裕なんてない。少しでも気を抜けば、粘土はあっという間に重心を失って崩れてしまうから。ただただ、目の前の土と、自分の指先の感覚だけに集中する。それはもう、究極のマインドフルネスであり、瞑想です。

 

SNSの「いいね」の数も、上司からのメールも、将来の不安も、全部忘れて、ただ無心に土と向き合う。その時間が、どれだけささくれた心を癒やし、リセットしてくれることか。デジタルデトックスなんて言葉がありますけど、陶芸は、私にとって最高のデトックス方法。これがあるから、また明日から頑張れる。そう思えるんです。これって、現代人にとって、一番の贅沢なんじゃないかなって、本気で思っています。

まとめ 確率計算はやめて、泥だらけの未来に飛び込もう

 

さて、長々とお話ししてきましたが、もう一度だけ言わせてください。「陶芸家になれる確率」なんて、やっぱりどうでもいいんです。そんな不確かな数字に一喜一憂するなんて、あなたの貴重な人生の時間をドブに捨てるようなもの。その確率は、誰かが決めるものじゃありません。あなたが「なる」と決めて、土に触れ、作品を作り始めた瞬間に、あなただけの「確率100%」の道が始まるんですから。

 

陶芸家への道は、決して一つではありません。王道を行く作家もいれば、副業として楽しむ作家もいる。教えることを専門にする人だっている。そして、プロになることだけが幸せの形でもありません。大切なのは、「なれるか、なれないか」の二択で考えることではなく、「陶芸」という最高に面白くて奥深い沼と、どう長く付き合っていくか、どう楽しんでいくか、その方法を考えることです。

 

この記事を読んで、少しでも心が動いたなら、あなたのやることはもう決まっています。そうです、今すぐ近所の陶芸体験を探してみてください。そこで土に触れた瞬間、あなたの新しい物語が、きっと始まります。たとえプロにならなくても、土をこねる時間は、あなたの人生を確実に豊かに、味わい深くしてくれるはずです。さあ、確率計算の電卓は捨てて、泥だらけの、不格好で、最高に愛おしい未来に、一緒に飛び込んでみませんか?