陶芸体験初心者あるあるで心の準備を。土と格闘した私の記録

「陶芸体験」、なんて素敵な響きなんでしょう。
都会の喧騒を離れ、静かな工房で土と向き合う時間。無心になってろくろを回し、世界に一つだけの自分の器を作る…。

 

そんな「丁寧な暮らし」の象徴みたいなアクティビティに、憧れを抱いている人も多いんじゃないでしょうか。私もそうでした。

 

でもね、ちょっと待ってください。そのキラキラしたイメージ、一回、そっと横に置いておきましょうか。現実は、そんなに甘くない!…いや、甘くないからこそ、最高に面白いんです!

 

この記事では、私が実際に体験した「陶芸体験初心者あるある」を、包み隠さず、恥をしのんで全部お話しします。これを読めば、あなたの陶芸体験は100倍楽しくなるはず。なぜなら、失敗も、うまくいかないことも、全部「あるある!」って笑い飛ばせるようになるから。

 

結論から言っちゃうと、陶芸体験は完璧な作品を目指す場所じゃありません。不器用な自分と向き合い、泥だらG-SHOCKのようになって、最後には「まあ、いっか!」って笑うための最高のエンターテイメントなんです。

 

さあ、泥だらけになる覚悟はいいですか?一緒に、理想と現実のギャップを楽しみに行きましょう!

失敗だらけでOK!陶芸体験は不格好な自分を楽しむエンタメだ

 

この記事で私が一番伝えたいことは、もうこれに尽きます。陶芸体験って、美しい作品を作ることだけがゴールじゃないんです。むしろ、うまくいかない過程そのものを「面白い!」と感じられたら、もう勝ち。だって、プロじゃないんだもん。ぐにゃぐにゃになったって、歪んだっていいじゃないですか。その不格好な粘土の塊こそ、あなたが土と格闘した紛れもない証なんです。だから、これからお話しする「あるある」も、決してネガティブな話じゃありません。むしろ、最高の思い出になる最高の「ネタ」だと思って読んでみてください。

理想は「無心で土と対話」現実は「無言で土と格闘」

映画やドラマで見る陶芸シーンって、だいたい静かですよね。主人公が目を閉じて、まるで粘土と心を通わせるように、すーっと指を滑らせていく…。私も、あんな風に「無心」の境地に至れるものだと思っていました。静寂の中、土の声を聴く…みたいな。
ええ、まったくの幻想でした。

 

工房に入った瞬間から、現実は違います。まず、先生の説明を聞く時点で「え、待って、専門用語多くない?」「土殺し…?こわい!」と頭はすでにプチパニック。そして、いざ自分のろくろの前に座ると、もうそこは戦場です。

 

「うわ、回った!」「はやい!目が回る!」「み、水はどのくらい…?うわ、びしゃびしゃ!」「先生ー!助けてくださいー!」
…静寂?どこに?

 

心の中は「どうしよう」「なんでこうなるの」「あ、やばい」という雑念のオンパレード。無心どころか、雑念の塊。隣の席からも「ああーっ!」とか「なんか変な形になった…」みたいな声が聞こえてきて、もはやそこは静かな工房ではなく、一種のパニックルームと化しているんです。

 

「土と対話」なんて高尚なものじゃありません。これはまぎれもなく「土との格闘」。言葉はいらない、力と力のぶつかり合い。そう、陶芸は格闘技だったんだ…!と、開始5分で悟ることになります。でもね、それが面白いんですよ。

完成形は湯呑みのはずが、なぜか灰皿か小鉢に着地しがち

体験を始める前、誰もが胸に一つの完成形を思い描きます。「ちょっと口が広がった、お洒落なカフェオレボウル」「手になじむ、素朴な湯呑み」「彼氏とお揃いのマグカップ」…夢は広がりますよね。私もそうでした。「すらっと背の高い、ビアグラスみたいなのを作るぞ!」と意気込んでいました。

 

で、ろくろを回し始めます。
最初は順調なんです。先生に手伝ってもらいながら、粘土の壁が少しずつ高くなっていく。「お、いい感じじゃん!私、才能あるかも?」なんて思ったのも束の間。

 

ちょっと力を入れすぎたのか、指が変な角度で入ったのか、さっきまですらっとしていたはずの器が、なぜかだんだんずんぐりむっくりに…。

 

「あれ?おかしいな…」と思って修正しようとすると、今度は口がどんどん広がっていきます。「待って待って!広がらないで!」と心で叫んでも、遠心力は無情です。

 

背は低くなり、口は広がり、気づけばそこに鎮座しているのは、ビアグラスの面影など微塵もない、平べったい物体。
…これ、何?

 

先生が「あら、素敵な小鉢になりそうね!」なんて優しい言葉をかけてくれるんですが、私の心は「小鉢じゃない…小鉢じゃないんだ…!」と叫んでいます。でも、もう後戻りはできません。

 

最終的には、「うん、これはこれで味があるよね。醤油皿とか、アクセサリー置き場にちょうどいいかも」と自分を無理やり納得させる。最初に思い描いたものとは全く違うけれど、これはこれで可愛い…はず。初心者が作るものは、なぜか最終的に灰皿か小鉢、もしくは用途不明の謎の皿に着地しがち。これも立派な「陶芸体験初心者あるある」なんです。

先生の「魔法の手」で一瞬にして作品が蘇る奇跡

制作過程で、必ず訪れる絶望の瞬間。
それは、粘土がぐにゃりと歪み、遠心力に負け、もはや「器」と呼ぶことすらおこがましい「なにか」になってしまった時です。「ああ、もうダメだ…私の陶芸体験、終わった…」と天を仰ぎたくなる。

 

そんな時、救世主が現れます。そう、先生です。
「ちょっと貸してごらん?」
その一言と共に、先生がそっとろくろの上の「なにか」に手を添えた、その瞬間。奇跡は起こります。

 

さっきまであんなに言うことを聞かなかった粘土が、まるで魔法にかけられたかのように、すぅーっと中心に戻り、形を取り戻していくんです。先生の指が粘土の上を滑るたびに、歪みは消え、美しい曲線が生まれていく。え、なにこれ。魔法?イリュージョン?

 

私の30分にわたる格闘は一体何だったのか。呆然と見つめる私の前で、ぐにゃぐにゃだった物体は、わずか数十秒で美しい器の形に生まれ変わります。

 

「はい、ここからもう一回やってみようか」
にこやかに言われても、こっちは感動と驚きと、ほんの少しの敗北感で胸がいっぱい。「先生、すごい…」という言葉しか出てきません。あれはもう「教える」とかいうレベルじゃない。瀕死の作品を蘇らせる「蘇生の術」です。この「先生マジック」を目の当たりにするだけでも、陶芸体験に行く価値はあります。本当に。

準備と服装でやらかしがち!陶芸体験前の「あるある」

 

陶芸体験の面白さは、工房に入ってからだけじゃありません。実は、その前から始まっているんです。ウキウキした気持ちで準備をする段階で、すでに数々の「やらかし」フラグが立っている…。私も見事にそのフラグを回収してきました。ここでは、そんな体験前の「あるある」をご紹介します。これを読んでおけば、当日、私と同じ轍を踏まずに済む…かもしれません。

なぜか気合の入ったお洒落をしてきてしまう悲劇

「陶芸体験」って、なんだかお洒落なイメージがありませんか?「丁寧な暮らし」とか「スローライフ」とか、そういうキーワードが頭をよぎるせいか、つい服装にも気合が入ってしまう。私もそうでした。お気に入りの、ちょっと高かった白いコットンブラウスに、ゆったりしたリネンのパンツ。「うん、完璧。工房の雰囲気にも合ってる」なんて悦に入っていました。
…大間違いでした。

 

まず、白い服。これはもう、自殺行為と言っても過言ではありません。泥水は、あなたが思っている以上に広範囲に、そして確実に飛び散ります。気づいた時には、お腹のあたりに茶色いシミが点々と…。ああ、私のブラウス…。

 

そして、もっと厄介なのが「ふんわりした袖」の服。いわゆる「萌え袖」的なやつですね。可愛いんですけど、ろくろを回す時には邪魔でしかありません。腕まくりをしても、すぐにずり落ちてきて粘土にダイブ!袖口が泥だらけになるのは時間の問題です。

 

さらに、ネックレスやブレスレットなどのアクセサリー。これも危険。特に長いネックレスは、屈んだ瞬間にろくろの上で回転する粘土に巻き込まれそうになるし、ブレスレットや指輪は粘土をこねる時に邪魔になる。

 

結論。陶芸体験の日の正解ファッションは「汚れても心の底からどうでもいいと思える服」。これに尽きます。お洒落は、完成した器を愛でながらカフェに行く時にとっておきましょう。

爪が長いと作品に謎の模様が刻まれる

女性に特に多い「あるある」がこれです。
せっかくの休日、お洒落な陶芸体験に行くんだから…と、ネイルもばっちり綺麗にしていく。うん、その気持ち、すごくわかります。私も、ジェルネイルがキラキラしている状態で行きましたから。
そして、粘土を触った瞬間に気づくんです。「あ、やばい」と。

 

土殺し(土の空気を抜く作業)で粘土をぐいぐい押すたびに、爪が粘土にぐっさり食い込む。ろくろで器の形を整えようと指を添えれば、内側にくっきりと爪の跡が三日月型に刻まれる。
「うわー!傷が!傷がついた!」

 

焦ってなでて消そうとしても、また別の場所に新たな三日月が生まれるだけ。もう、いたちごっこです。

 

途中から、私はもう諦めました。これはもう、傷じゃない。「デザインだ」と。この三日月模様は、私がこの器を作ったという証なのだと。そう自分に言い聞かせるしかありませんでした。

 

焼き上がった私の湯呑み(の、はずだった小鉢)には、内側にくっきりと、謎の引っかき傷のような模様が残っています。これを見るたびに、あの日の絶望と諦めが蘇ってきます。

 

これから陶芸体験に行くみなさん。お願いだから、爪は短く切っていってください。本当に、その方が絶対にいい作品ができます。これは、経験者からの切実な願いです。

ろくろとの戦い!制作中の「あるある」集

 

さあ、いよいよ陶芸体験のメインイベント、ろくろとの戦いです。ここが一番楽しくて、一番苦しくて、一番「あるある」が詰まっているパートと言えるでしょう。テレビで見るみたいに、簡単にはいきません。むしろ、ろくろという機械は、初心者を絶望させるために作られたんじゃないかと疑うレベル。でも、この悪戦苦闘こそが、後で最高の笑い話になるんです。

力加減がわからず粘土が宇宙の彼方へ飛んでいく

ろくろ体験の最初の関門、「中心を取る(芯出し)」。ろくろの真ん中に粘土を固定する作業なんですが、これが…本当に、できない。

 

先生は「両手でしっかり挟んで、動かないように!」と言うけれど、力を入れると粘土がぐにゃり。力を抜くと、遠心力で粘土が外へ外へと逃げていく。まるで、生きているみたいに。
「もっと力を入れて!体重をかける感じ!」

 

先生の檄が飛びます。よし、わかった!と、ぐっと力を込めた、その瞬間。
粘土が「ぐにゃん!」と、ありえない形に変形し、遠心力に耐えきれず、ろくろから剥がれ落ちそうになるんです!「うわあああああ!」と思わず声が出る。本当に、粘土が視界から消えるかと思いました。物理的に飛んでいくことは稀かもしれませんが、心の中では確実に、粘土は宇宙の彼方へ飛んでいっています。

 

あの、自分のコントロールを完全に失って、物体が暴れ出す感覚。ジェットコースターの頂点から落ちる瞬間の、あの内臓がふわっと浮く感じに似ています。何度やっても、この「中心」が取れない。もう、私の人生の中心もブレブレなんじゃないかと、あらぬ哲学的な思考にまで至ってしまいます。この最初の関門で、多くの初心者の心は一度、ぽっきりと折れるんです。

指一本で全てが崩壊する恐怖の瞬間

苦労の末、なんとか中心を取り(だいたい先生にやってもらう)、少しずつ形を作っていきます。穴を開け、壁を伸ばし…おお、なんだか器っぽくなってきた!

 

「私、もしかして才能あるんじゃない?」
そんな甘い考えが頭をよぎった、まさにその時。悲劇は起こります。
順調に伸びていた器のフチに、ほんの少し、本当にちょっとだけ、指が「こつん」と当たってしまう。

 

その瞬間、それまで保たれていた完璧な円が、まるでスローモーションのように「ぐにゃ〜…」と歪むんです。「え?」声にならない声が出ます。
やばい、修正しなきゃ。焦って指を添える。でも、焦れば焦るほど、歪みはどんどんひどくなる。フチは波打ち、器全体が揺らぎ始め、最終的には見るも無惨な形に…。ああ、終わった。私のシンデレラ城が、一瞬で崩れ去った…。

 

あの、たった指一本、ほんの一瞬の油断で、それまでの努力がすべて水の泡になる感覚。まさに絶望です。積み上げたジェンガを、最後の一本で崩してしまった時のような、あの虚しさ。陶芸は、メンタルが試されるスポーツでもあるのかもしれません。油断大敵。この言葉を、土とろくろが、身をもって教えてくれるんです。

隣の人の作品がやたら上手く見えて焦る

自分の手元では、粘土との壮絶なバトルが繰り広げられている。なのに、ふと隣に目をやると、なんということでしょう。

 

隣の人が、めちゃくちゃスムーズに、美しいフォルムの器を作っているではありませんか。
え、なんで?なんであの人はそんなにシュッとしたの作れてるの?私のはこんなにずんぐりむっくりなのに…。もしかして、経験者?サクラ?それとも、神に選ばれし陶芸の天才…?

 

心の中は、焦りと嫉妬と疑心暗鬼でぐちゃぐちゃ。自分の不器用さが際立って、どんどん惨めな気持ちになってきます。「もういいや、私のはこれで…」なんて、諦めの境地に達しそうになる。
でもね、これもあるあるなんです。たぶん、その隣の人も、あなたの作品を見て「わ、手作り感があって味があるな…」とか思っているかもしれない。いや、思ってないかもしれないけど。

 

人間って、どうしても他人と比べちゃう生き物なんですよね。でも、陶芸体験の教室では、その比較は無意味。だって、みんな初心者で、みんな苦労している(はず)。隣の芝生は青く見えるもの。それよりも、目の前の自分の土の塊と向き合うこと。そう、これは自分との戦いなんだ…!と、謎のライバル心を燃やしつつも、最終的には自分の作品に集中することになるのです。

完成、そして忘れた頃にやってくる!後日談「あるある」

 

悪戦苦闘の制作タイムが終わり、泥だらけの手を洗って一息。でも、陶芸体験はまだ終わりじゃありません。ここから、後日談とも言える「あるある」が待っています。作品の完成を左右する最後の選択、そして、すっかり忘れた頃に訪れる感動の(?)瞬間まで、気を抜いてはいけません。

どの釉薬(ゆうやく)にするか無限に悩む

形作りが終わった後、最後の関門が待ち受けています。それは「釉薬(ゆうやく)選び」。つまり、焼き上がりの色を決める作業です。

 

先生が、ずらりと並んだ色見本を見せてくれます。「これが焼き上がるとこんな色になりますよ」と。
これがね、もう、めちゃくちゃ悩むんです。

 

見本は小さなタイルのようなもの。でも、自分の作ったあのぐにゃぐにゃの器にこの色を塗ったら、一体全体どうなるのか?想像が、全くつかない。
「この白は、マットな感じですか?ツヤっとした感じですか?」「この青って、見本より濃く出たりします?」「うーん、でも形がこれだから、シンプルな方がいいかな…いや、むしろ色で個性を出すべきか…?」

 

頭の中はもう、釉薬のことでいっぱい。優柔不断な人にとっては、拷問に近い時間かもしれません。友達と行ったら「まだ決まらないのー?」なんて言われちゃったりして。

 

散々悩んだ挙句、結局「一番人気の白で…」とか「先生のおすすめで…」とか、無難な選択をしがち。もしくは、清水の舞台から飛び降りる気持ちで「この真っ赤なやつで!」と冒険した結果、焼き上がってきたものを見て「思てたんと違う…!」となるのも、また一興。この色選びの迷いも、陶芸の醍醐味の一つなんです。

忘れた頃に届く完成品「これ、私が作ったんだっけ?」

釉薬を選び、工房を後にしてから、だいたい1ヶ月から2ヶ月。
もうすっかり陶芸体験のことなんて忘れ、日々の仕事や生活に追われている、そんなある日。ピンポーン、とチャイムが鳴り、一つの小包が届きます。差出人は、あの陶芸工房。
「あ!そういえば!」

 

その瞬間、あの日の泥だらけの記憶が蘇ります。わくわくしながら箱を開けると、そこには、新聞紙に丁寧にくるまれた、自分の作品が。
取り出してみて、まず思うこと。
「…あれ?こんな形だったっけ?」

 

そうなんです。自分の手から離れて1ヶ月以上経つと、どんな形を作ったかなんて、意外と覚えていないもの。記憶の中ではもう少しマシな形だったはずなのに、目の前にあるのは、やっぱりちょっと歪で、不格好な器。

 

でも、じーっと見ているうちに、だんだん愛着が湧いてきます。ああ、この歪みは、あの時指が滑った跡だな。この内側の傷は、爪が当たっちゃったやつだ。そんな風に、作った時の苦労や笑い話を思い出して、不格好ささえもが愛おしくなってくる。この「忘れた頃にやってくる」という時間差攻撃が、感動を何倍にも増幅させてくれるんです。

使ってみたら意外と使いにくいけど、それがまた愛おしい

さあ、待ちに待った自作の器。早速使ってみよう!と意気込みます。
私が作ったマグカップ(の、つもりだった湯呑み)に、コーヒーを淹れてみる。そして、持ってみる。

 

…あれ?取っ手が絶妙に持ちにくい。小指が余る。
そして、飲んでみる。
…ん?口当たりが、なんか、分厚い。
そう、自分で作った器って、大抵の場合、市販品のように計算され尽くされてはいないので、正直言って「使いにくい」ことが多いんです。お皿なら、ちょっとガタガタして安定しなかったり。お茶碗なら、重すぎたり。

 

でも、それでいいんです。その使いにくさこそが「手作りの証」。完璧じゃないからこそ、面白い。
「あー、もうちょっと薄くすればよかったなー」とか「次作るときは取っ手の位置を…」なんて、次への課題が見つかるのも楽しいじゃないですか。

 

結局、その使いにくい器は、一軍の食器棚には並ばず、ペン立てになったり、玄関で鍵置き場になったりすることが多い。でも、それでいいんです。目に入るたびに、あの日の泥だらけの自分を思い出して、ちょっとだけ笑える。そんな存在になるだけで、作った価値は十分すぎるほどあるのですから。

まとめ 陶芸体験は最高の思い出作り!さあ、あなたも土にまみれよう

 

ここまで、私の体験から生まれた「陶芸体験初心者あるある」を、これでもかと書き連ねてきました。いかがでしたか?

 

理想通りにはいかない格闘、なぜかお洒落してきちゃう悲劇、ろくろの上で崩壊する絶望、そして忘れた頃に届く愛しい我が子(作品)。

 

もしかしたら「なんだか大変そう…」と思ってしまったかもしれません。でも、私が声を大にして言いたいのは、この「大変さ」や「うまくいかなさ」こそが、陶芸体験の最高のスパイスだということです。

 

完璧な器が欲しければ、お店で買えばいい。でも、お金では買えないものがあります。それは、泥だらけになって、笑って、焦って、感動して…そんな感情がぐちゃぐちゃに詰まった「体験」そのものです。不格好に歪んだ湯呑みは、世界中のどんなブランド食器よりも、あなたにとって価値のある宝物になるはずです。それは、あなたの物語が刻み込まれているから。

 

この記事を読んで、「わかるー!」と膝を打ったあなたも、「え、そんなことが起きるの?」と目を丸くしたあなたも、ぜひ一歩踏み出して、土にまみれてみてください。「あるある」を体験しに行く、くらいの軽い気持ちで大丈夫。先生は魔法使いのように助けてくれるし、隣の人もきっと同じように苦戦しています。

 

失敗を笑い飛ばし、不器用な自分を丸ごと楽しむ時間。それこそが、日常をちょっと豊かにしてくれる最高の非日常体験です。さあ、あなたも土と格闘する最高のエンターテイメントを味わってみませんか?工房のドアは、きっとあなたを温かく迎えてくれますよ。