自分で作った食器を使う幸せは、陶芸でしか味わえない!

「自分で作った食器で、毎日ごはんを食べる」

 

これ、想像してみてください。……どうです?なんだか、ちょっとだけ、いい暮らしな感じがしませんか?ええ、わかります。「陶芸なんて、なんだか難しそう」「センスないし、不器用だから無理」そんな声が聞こえてきそうです。でもね、断言します。自分で作った食器を使う幸せは、あなたが思っている100倍、いえ、1000倍は素晴らしいものです。

 

いびつで、ちょっと重くて、お店で売っているみたいに洗練されてはいないかもしれない。でも、そのいびつな形にこそ、あなたの物語が詰まってるんです。仕事のストレスも、日々の悩みも、粘土をこねている間は不思議とどこかへ消えていく。そして、数週間後に窯から出てきた我が子(作品)と対面した時の感動…!その器で食べる、なんてことない卵かけご飯が、人生で一番おいしく感じる瞬間。この幸せは、一度味わったらもうやめられません。

 

この記事では、そんな「自分で作った食器を使う幸せ」を手に入れるための、具体的な第一歩を、私の暑苦しいくらいの体験談と共にお届けします。大丈夫、難しく考えなくていいんです。この記事を読み終わる頃には、きっとあなたも「ちょっと、陶芸教室探してみようかな…」なんて思っているはず。あなたの日常に、最高に愛おしい彩りを加える冒険へ、一緒に出かけましょう!

自分で作った食器を使う幸せは人生の幸福度を爆上げする

 

いきなり大げさなことを言っているように聞こえるかもしれませんね。でも、これは紛れもない事実なんです。私が陶芸にハマって、自分で作った食器を使い始めてから、日々の暮らしに対する解像度がぐんと上がりました。大げさじゃなく、本当に。毎日の食事が、ただの「作業」から、心躍る「時間」に変わったんです。それは、どんな高級な食器を買っても決して得られない、特別な感覚。この感動を、まずはあなたに知ってほしいんです。

毎日の食事が「特別なイベント」に変わる魔法

考えてみてください。昨日の夜、何を食べましたか?その時使ったお皿、どんなものでしたか?…なんて、普通はそこまで意識しないですよね。私もそうでした。でも、自分で作ったお皿が登場してからは、もう、全然違うんです。

 

例えば、スーパーで買ってきた普通のコロッケ。いつもなら、まあ、白いお皿に乗せてソースをかけて終わり。でも、自分で作ったちょっと歪んだトルコブルーのお皿に乗せた瞬間、「うわ、なんかめちゃくちゃ美味しそうじゃない!?」ってなるんですよ。ただのコロッケが、なんだかお店の一品みたいに見えてくる。不思議だよね?自分で作ったっていう「物語」が、最高のスパイスになるんです。

 

私が初めて作った、ひどい出来のお茶碗。高台(底の部分ね)がガタガタで、置くとちょっとカタカタ揺れるんです(笑)。でも、そのお茶碗で食べる納豆ごはんが、もう、絶品で。このガタガタも、私が一生懸命削った証なんだよな…なんて思いながら食べると、感謝の気持ちまで湧いてくる。コンビニのおにぎりですら、自作の豆皿に乗せるだけで、なんだか丁寧に作られた食事のように感じる。これって、一種の魔法だと思いませんか?日常の風景が、自分の手で「特別」に塗り替えられていく感覚。これが、私が陶芸にどっぷりハマった一番の理由なんです。

不格好さこそが「愛おしさ」の源泉になる

陶芸を始めると、たぶん誰もが一度は「完璧な形」を目指します。電動ろくろで、シュッとしたシンメトリーな器を作りたい!って。でもね、面白いことに、続けていくうちに「完璧じゃないもの」の魅力に気づかされるんです。

 

私の食器棚には、先生が作った見本みたいな綺麗な器と、私が作った歪な器が並んでいます。でも、気づくといつも手に取っているのは、自分の作った歪な方。なんでだろう?って考えてみたんです。そしたら、答えは簡単でした。その歪みや釉薬のムラの一つひとつに、思い出があるから。

 

「あ、この凹み、あの時、指の力が入りすぎちゃったやつだ」「この釉薬の溜まり、もっと薄くかければよかったなーって後悔したけど、今見ると味があるなあ」「この傷、窯に入れる前にうっかり爪で引っ掻いちゃったんだっけ」。そんな、どうでもいいような記憶が、器を見るたびに蘇ってくる。まるで、卒業アルバムを見ているような、ちょっと気恥ずかしくて、でも最高に愛おしい気持ち。

 

お店で売っている食器は、美しい「完成品」です。でも、自分で作った食器は、思い出と成長の記録が詰まった「作品」であり、「我が子」なんです。不格好で、欠点だらけ。でも、だからこそ可愛い。世界にたった一つしかない、不完全な私の相棒。この「愛おしさ」は、お金では絶対に買えない、プライスレスな価値だと、私は本気で思っています。

陶芸ってぶっちゃけ何から始めたらいいの?

 

「よし、その幸せ、私も味わってみたい!」そう思ってくれた、そこのあなた。ありがとう!でも、次の瞬間、こう思いますよね。「で、何から始めればいいの?」と。土を買う?ろくろを買う?いえいえ、そんなハードルが高いことをする必要は全くありません。もっと気軽に、もっと楽しく始められる方法があるんです。というか、これ以外の選択肢は、今のあなたには、ない!

まずは「体験教室」一択!手ぶらで行ける楽園へようこそ

結論から言います。陶芸を始めたいなら、まずは「陶芸体験教室」に行ってください。これ、絶対です。いきなり道具を揃えたり、陶芸教室に月謝を払って通い始めたりするのは、正直、無謀です。なぜなら、あなたが「本当に陶芸を好きかどうか」は、土に触れてみないとわからないから。
体験教室のいいところは、もう、山ほどあります。

 

まず、手ぶらで行けること。土も、道具も、作業場所も、ぜーんぶ用意されています。エプロンだって貸してくれるところがほとんど。あなたが持っていくのは、「やってみたい!」っていう好奇心と、汚れてもいい服くらい。最高に楽ちんじゃないですか?

 

そして、プロの先生が教えてくれること。これがもう、本当に心強い。粘土なんて小学生以来…という人でも大丈夫。先生が「こうやって土を練るんですよ」「親指はこう使って…」と、手取り足取り教えてくれます。私みたいに絶望的に不器用でも、先生の魔法の手にかかれば、ちゃーんとお茶碗の形になるんですから、信じてください。

 

さらに、一番面倒な「窯焼き」と「後片付け」を全部お任せできること。自分で作った作品は、乾燥させて、素焼きして、釉薬をかけて、本焼きして…と、実は完成までに結構な手間と時間がかかります。特に「窯」なんて個人じゃ持てないし。体験教室なら、形を作るところまでやったら、「じゃ、あとはお願いしまーす!」で終わり。数週間後に、焼き上がった作品を取りに行ったり、送ってもらったりするだけ。この手軽さは、入門編として完璧すぎます。

体験教室を選ぶときの地味だけど大事なポイント

よし、体験教室に行こう!と決めたら、次は「どこに行くか」ですよね。近所にある教室を適当に選ぶ…のもアリですが、せっかくなら、もっと満足度の高い体験をしてほしい。そのために、いくつかチェックしてほしい、地味だけど超重要なポイントがあるんです。

 

まず、「作りたいものが作れるか」を確認すること。陶芸体験には、大きく分けて「手びねり」と「電動ろくろ」があります。手びねりは、粘土遊びの延長みたいな感じで、自分の手でこねこねして形を作る方法。温かみのある、ちょっと歪な形が魅力です。一方、電動ろくろは、あの、くるくる回る機械の上で形を作るやつ。シュッとした、お店みたいな形を目指せます。どっちをやってみたいか、自分の心に聞いてみてください。「あの映画みたいに、ろくろを回したい!」という憧れがあるなら、迷わず電動ろくろができる教室へ!

 

次に、意外と見落としがちなのが「釉薬(ゆうやく)の種類」。釉薬っていうのは、器の色を決める薬品のことです。これをかけることで、ツルツルになったり、いろんな色が出たりするわけです。この釉薬の種類が少ないと、せっかく形は気に入っても、「なんか思ってた色と違う…」なんてことになりがち。教室のウェブサイトやSNSを見て、どんな色の作品が作れるのか、作例写真をチェックしておくのが超おすすめです。「わー、この青色、きれい!」みたいに、心惹かれる色がある教室を選ぶと、満足度が全然違いますよ。

 

あとは、先生との相性。これも地味に大事。ブログやインスタで、教室の雰囲気や先生の人柄をなんとなく見ておくと安心です。最後に料金。体験料に「焼成代(窯で焼くお金)」が含まれているか、別料金なのかは必ず確認しましょう。後から「え、追加でこんなにかかるの!?」とならないように、ね。

私が陶芸にどっぷりハマった、ちょっと恥ずかしい初体験の話

 

ここまで、陶芸の魅力を偉そうに語ってきましたが、もちろん私にも「初めて」がありました。あれは、確か3年くらい前の、梅雨のジメジメした土曜日だったかな。仕事のストレスがピークに達していて、「何か…何か無心になれることはないか…!」と、半ばヤケクソで予約したのが、近所の陶芸体験教室でした。正直、そこまで期待してなかったんです。でも、その日の体験が、私の人生をちょっとだけ変えることになるなんて、当時は知る由もありませんでした。

土のひんやり感と無心になれる時間

教室のドアを開けると、独特の土の匂いがしました。懐かしいような、初めてのような不思議な香り。先生に渡された、ずっしりと重い粘土の塊。おそるおそる両手で触れてみると…ひんやり、そしてしっとり。その感触が、なんだかものすごく心地よかったんです。

 

「じゃあ、まず土殺し(つちごろし)から始めましょう」…え、土殺し?物騒な名前!って思ったのを覚えてます(笑)。粘土の中の空気を抜いて、硬さを均一にする大事な作業らしいんですけどね。先生の真似をして、体重をかけて粘土を練っていく。最初はぎこちなかったけど、だんだんリズムが掴めてくる。その、「ぐっ、ぐっ」と粘土を押す感触と、手のひらに伝わる重みに集中していると、さっきまで頭の中をぐるぐるしていた仕事の悩みとか、人間関係のモヤモヤとかが、スーッと消えていくのがわかりました。

 

「あ、今、私、何も考えてない」。そのことに気づいた時、ハッとしました。スマホも、PCも、SNSもない。目の前にあるのは、ただの土の塊と、自分の両手だけ。これって、ものすごく贅沢な時間じゃない?まるで瞑想しているみたい。いや、土セラピーとでも言うべきか…。気づけば、口をぽかんと開けて、一心不乱に土をこねていました。周りから見たら、ちょっと変な人だったかもしれません(笑)。でも、あの時の「無」になる感覚は、今でも忘れられません。

絶望からの生還、そして感動の窯出し

さて、無心になって土と戯れた後、いよいよ形作り。私は「お茶碗」を作ることにしました。先生に教わった通り、粘土の塊の真ん中に親指をぐーっと入れて、少しずつ壁を広げていく…。…あれ?おかしいな。なんか、ぐにゃあって歪んでいく。焦って直そうとすると、さらに変な形に。「先生ー!助けてくださーい!」情けない私の声に、先生は苦笑いしながら飛んできてくれました。「あー…うん、大丈夫、大丈夫。ここをこうやって…」その神の手による修正で、なんとかお茶碗っぽい形に。正直、この時点では「私、やっぱり才能ないわ…」と、ちょっと絶望していました。

 

そして、約1ヶ月後。教室から「焼き上がりましたよ」と連絡が。正直、あの歪な器のことは半分忘れかけていました。期待半分、怖さ半分で包みを開けると…そこには、コロンとした、なんとも言えない愛嬌のあるお茶碗がいたんです。色は、私が選んだ「白萩(しろはぎ)」という釉薬。真っ白じゃなくて、ほんのり温かみのある白。そして、私が苦戦した歪みも、なんだか「味」に見える。手に取ると、粘土の時より一回り小さくなっていて、カチンと硬い。

 

「うわ…私の、お茶碗だ…」

 

思わず声が出ました。あの、ぐにゃぐにゃの粘土が、こんなに立派になって…。感動、という言葉では足りないくらいの感情が込み上げてきました。その日の夜、早速そのお茶碗にご飯をよそって、卵をかけて、醤油をたらして…いつものTKG(卵かけご飯)を食べました。そしたら、もう、びっくりするくらい美味しかった。なんでだろう。味は同じはずなのに。お米一粒一粒が、いつもより輝いて見えました。ちょっと泣きそうになりました、マジで。この瞬間に、私は確信したんです。「あ、私、陶芸、続けるわ」って。

自作の食器がある暮らしはこんなに豊かになる

 

陶芸体験で感動を味わい、すっかりその魅力に取り憑かれた私。今では、月に数回、陶芸教室に通うのが最高の趣味になっています。食器棚には、少しずつ私の「作品」が増えてきました。そして気づいたんです。自分で作った食器がある暮らしって、想像以上に毎日を豊かにしてくれるんだなって。食事の時間が楽しくなるだけじゃない。もっといろんなところに、嬉しい変化が生まれるんです。

料理がちょっとだけ楽しくなる不思議

私、正直言って料理はそんなに得意じゃありません。というか、むしろ面倒くさいと感じるタイプ。でも、自作の食器が増えてきてから、不思議とキッチンに立つのが少しだけ楽しくなったんです。

 

例えば、新しいお皿が焼き上がってきたとします。そうすると、「このお皿、深さがあるから煮物にいいかも」「この平たいお皿には、カルパッチョとか乗せたら映えそうだな」なんて、自然とお皿中心にメニューを考え始めるんです。これって、すごくないですか?今までは「何作ろうかな…めんどくさいな…」だったのが、「あのお皿を使うために、何を作ろうかな?」に変わる。目的と手段が逆転する、嬉しい現象。

 

先日は、ちょっといびつな四角いお皿を作ったんです。焼き上がってきたそれを見て、「よし、これには絶対に焼き魚だ!」とピンときて。スーパーで一番美味しそうなアジの開きを買ってきて、丁寧に焼いて、大根おろしを添えて、そのお皿に乗せてみました。もう、完璧。ただの焼き魚定食が、なんだか料亭の一品みたいに見える(言い過ぎ?)。インスタ映えとか、そういうのとはまた違うんです。自分の作品を、自分の料理で最高に輝かせてあげたい、という親心にも似た感情。この気持ちが、面倒だった料理の時間を、クリエイティブで楽しい時間に変えてくれました。

人を招きたくなる、自慢したくなる

昔は、人を家に呼ぶのって、ちょっと苦手でした。掃除も大変だし、料理も自信ないし…。でも、自作の食器たちが食器棚を占領し始めてから、なぜか「誰かに見せたい!」という気持ちがムクムクと湧き上がってきたんです。人間って、現金だよね(笑)。

 

この前、友人が遊びに来た時、ここぞとばかりに自作の器たちを総動員しました。パスタを盛り付けた大皿も、サラダを入れたボウルも、コーヒーを出すマグカップも、全部「Made by 私」。友人が「え、このお皿、すごく素敵!どこの?」って聞いてきた時の、私のドヤ顔、想像できますか?「ふふふ…これ?私が作ったんだよね」って言った時の快感たるや…!

 

「すごい!」「お店みたいじゃん!」「売れるよ!」そんなお世辞(だとわかっていても!)を言われると、もう、天にも昇る気持ち。それがまた、「よーし、次はもっとすごいの作っちゃうぞ!」っていう創作意欲に繋がるんです。いい循環ですよね。

 

それに、プレゼントにも最高なんですよ。友人の結婚祝いに、ペアのマグカップを作って贈ったことがあります。お店で買った高級なカップもいいけれど、「あなたのことを想いながら、土をこねて、形を作って、色を選んだんだよ」っていう時間と気持ちがこもったプレゼントは、やっぱり格別。すごく喜んでくれて、私も本当に嬉しかった。自分の「好き」が、誰かの「嬉しい」に繋がる。これもまた、陶芸がくれた、かけがえのない幸せです。

まとめ あなたも土に触れて「幸せ」を作ってみませんか?

 

ここまで、私の暑苦しい陶芸愛を語り尽くしてきましたが、いかがでしたでしょうか。「自分で作った食器を使う幸せ」が、少しでもあなたに伝わっていたら、こんなに嬉しいことはありません。

 

自分で作った、ちょっと歪な器で食べるごはんが、なぜか世界で一番おいしく感じること。その歪みや傷を見るたびに、悪戦苦闘した愛おしい記憶が蘇ってくること。日常の何気ない食事が、心躍る特別なイベントに変わっていく魔法。そして、「このお皿には何を乗せよう?」と考える、新しい楽しみ。これらはすべて、陶芸が私の日常にもたらしてくれた、かけがえのない宝物です。

 

「難しそう」「センスがないから」…そんな風に思っていたかつての私に、今の私が言ってあげたい。「大丈夫、そんな心配は一切いらないよ」と。陶芸は、上手い下手で楽しむものじゃないんです。ひんやりとした土の感触に癒され、無心になる時間を楽しみ、自分の手から新しい形が生まれる驚きと喜びに、ただただ心を委ねる。それだけでいいんです。その先には、あなたの暮らしを、今よりもっと豊かで、もっと愛おしいものに変えてくれる「幸せ」が待っています。

 

この記事を読んで、少しでも心が動いたなら、ぜひ、その気持ちのまま「近所の陶芸体験」を検索してみてください。その小さな一歩が、あなたの人生に、予想もしなかった彩りをもたらすかもしれません。まずは、ただ土に触れてみてください。きっと、何かが変わるはずだから。あなたの手で、あなただけの「幸せ」を、作ってみませんか?